自宅でもう一度…改めて観たい志村けんさんの雄姿
自宅でもう一度…改めて観たい志村けんさんの雄姿
2020-03-30 20:01:19(150907 view)新型コロナウイルスに感染し、闘病していたコメディアンの志村けんさんが、肺炎のため東京都内の病院で死去しました。70歳でした。ネット上では、過去に志村さんが出演した作品を鑑賞しようという動きも。
(出典 matome.naver.jp)
新型コロナウイルスに感染し、闘病していたコメディアンの志村けんさんが、肺炎のため東京都内の病院で死去しました。70歳でした。ネット上では、過去に志村さんが出演した作品を鑑賞しようという動きも。
もう、楽しい毎日は戻ってこない
日本では先週末、ようやく東京都が外出自粛の呼びかけを行いました。しかし、海外在住の日本人は、このような日本の「ゆるい対策」にドン引きしている人が大半です。
現在、私が住んでいるイギリスを始めとする欧州では、空気は何とも重苦しく、「もうコロナ以前の世界は終わったのだ」という意識の人が大半です。
もう、あの平和で気楽な世界は戻ってこないのです。
我々は現在、世界中を舞台とした大戦争の最中にいます。
これはただの「感染爆発」ではありません。はっきりいって、第3次世界大戦です。煽っているわけではありません。大げさなわけでもありません。
これは残酷な事実です。我々はこのウイルスに試されているのです。
世界大戦はテロリストとの戦いでもなく、スカイネットとの戦いでもありませんでした。相手は理性も交渉も全く通用しないウイルスだったのです。よくできたSF 映画もパニック小説も吹き飛ばしてしまう現実です。
どうか日本の皆さん、この深刻さと恐ろしさに気が付いてください。 これはただの病気ではないのです。
震災の時は、揺れが収まれば生活を立て直すことが可能でした。 原発事故も、何とか最悪の状況を乗り越えることが可能でした。
しかしウイルスは違うのです。 ワクチンも治療薬もない現在、この感染爆発を抑えることはできません。
誰も止めることができないのです。
今の日本は「3週間前のイギリス」
日本の今の状況は、3週間前のイギリスと似ているように感じます。
イギリスでは、先々週まで人々はごく普通の生活を送っていました。
一部の注意深い人たちは、中国やイタリアの状況を気にしていたために、 手を洗う回数を増やしたり、パーティーや飲み会をキャンセルし始めました。
ところが多くの人は、「航空券が安くなっているからイタリアに遊びに行こう」とか、「春先のイベントはどうしようか」という話をごく普通にしていたのです。
子供の学校の行事だって、ごく普通に行われていました。
私の5歳になる子供は、同級生達とお城に遠足に行ってきたばかりでした。
普段と違うことといえば、その遠足に参加した子供の何名かが週末に激しい咳をするようになったこと、学校を欠席する子供が増え始めたことです。
しかし「よくある風邪を引いただけね」と言っている人が大半で、新型肺炎と結びつける人は誰もいなかったのです。
新型肺炎のことを気にしてパニック状態になっていたのは、イタリア人の親だけでした。この人は、親たちの間では「大げさな人」と扱われ、激怒した彼女が保護者用メーリングリストに投稿した内容は、「大変無礼だ」という風に扱われていたほどでした。彼女は、危機が迫っていることを多くの人に訴えたかっただけでした。
しかし当時は、誰もまともに取り合おうとしなかったのです。
家族にも「神経質すぎ」と笑われた
その親たちの中には現在、新型コロナウイルスの患者を受け入れている病棟で働いている医師もいました。つい2週間前までは、医師でさえマスクも何もつけずに、他の人と50cm以内の距離で大声で話していたのです。子供の誕生会やディスコパーティーを盛大にやる人達もいました。ディスコパーティーに子供を参加させなかった我が家は、「変わった家族」という扱いをされました。
全文はソース元で
3/30(月) 7:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200330-00071456-gendaibiz-eurp
(出典 lpt.c.yimg.jp)
★1 2020/03/30(月) 22:15:11.12
前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1585580228/
首相、WHO事務局長と会談 コロナ対策協力確認 …に向け、治療薬の研究・開発などでの連携を確認した。 首相は、インフルエンザ薬「アビガン」の正式承認に向け、臨床試験を進める考えを表明。テドロス氏は「W… (出典:政治(産経新聞)) |
「すごい悲惨な状態で、心の底から怖いと思いました」
神戸大学医学研究科感染症内科教授の岩田健太郎医師が、新型コロナウイルスの感染者が続出する「ダイヤモンド・プリンセス号」の内部に入り、その惨状をYouTube動画で「(船内は)ウイルス培養器」と暴露したのは2月18日のこと。世間からは「勇気ある行動」と賞賛の声が挙がる一方で、「恐怖を煽った」との批判も少なくなかった。
あれから1カ月半、世界中で人々の生活は一変した。ヨーロッパ各国は相次いで「外出禁止令」を出し、日本でも3月28日、29日の週末は東京都と隣接4県で外出の自粛が求められた。
しかし、3月28日には国内で1日に確認された感染者の数が、初めて200人超え。国内で確認された感染者の数は、空港の検疫で見つかった人やチャーター機で帰国した人なども含めて計2436人、死亡者は計65人となった。そのうちクルーズ船の乗客・乗員の感染者は712人、死亡者は10名にのぼる(3月28日時点)。
3月4日、下船後の「自主隔離」を終えた岩田医師と、『週刊文春WOMAN』 はメディアで初めて対面した。『週刊文春WOMAN』2020春号に掲載した岩田医師のインタビューを、緊急転載する。
◆ ◆ ◆
「誰かを非難した」誤解を与えたことは、申し訳なかった——クルーズ船の感染対策の何が問題だったのでしょうか。
まず、ウイルスは目に見えないので、ウイルスがいる危険な感染区域と全くいない安全区域、いわゆる「レッドゾーン」と「グリーンゾーン」の分離が感染対策の鉄則です。船内でそれができていないのは一目瞭然でした。ウイルスが付着しているかもしれない防護服を着た人がグリーンゾーンに入ったり、検疫所の人が患者とすれ違って、「今、すれ違っちゃいましたね」と苦笑いしている場面にも遭遇しました。
私は20年以上、感染症の研究をしてきて、アフリカのエボラ出血熱や、03年の中国のSARSなど、感染症の対策現場に立ち会ってきました。それでも、今回ほど身の危険を感じたことはなかった。
——批判が集まるとたちまち動画を削除したことから、先生の告発を信用できないという声もあります。
私は船内から助けを求める連絡を受け、関係筋を伝って災害派遣医療チーム(DMAT)に同行するかたちで、中に入りました。その後、「誰か」の指示が出たため、2時間ほどで「出ていきなさい」と締め出されましたが。それでも「むちゃくちゃな状態」であることは明らかで、少しでも悲惨な現実を知ってもらいたくて動画をアップしました。再生回数は100万回を超えましたが、後に「船内の環境が改善した」との情報を得て、2日後に削除しました。結果的に誰かを非難しているかのような誤解を与える面もあり、その点は申し訳なかったと思っています。
官僚が意思決定をしたのが誤り——動画では「感染症対策の専門家が一人もいない」と言っていましたが、その後、厚労省や、同じく船内に入っていた沖縄県立中部病院の高山義浩医師が「岩田先生をご存じない方々には、(動画は)ちょっと刺激が強すぎた」として反論。その中で「専門家はいた」と主張しています。
あれはin charge (統括している)という私が動画で言った言葉が外され、微妙に議論がずらされてしまったがゆえの問題です。確かに、船内には国立感染症研究所の疫学チームや日本環境感染学会の災害時感染制御支援チームなどが入っていました。しかし、それは「専門家がいる」という数を合わせていたという程度で、実質的な感染防御機能の向上に寄与していないに等しかった。派遣されたDMATも、災害現場での外傷や熱傷の治療が専門です。もちろん、DMATに専門外の感染対策能力を求めているわけではありません。役割が違うということです。
最大の問題は、指揮権が厚生労働省にあったことです。船内の隔離はどうするか、ゾーニングはどうするか、防護服は誰が着て、どう脱ぐのか、こうしたことを決めるのは官僚の仕事ではありません。彼らは感染対策については素人で、今回のように医学的な意思決定など絶対にしてはいけないはずなんです。
——専門家不在で政治主導で決まる、日本の医療行政に警鐘を鳴らしてきました。
例えば、私たちが食品や医療を語るとき、「安全・安心」という言葉をよく耳にします。安全とは、科学的に検証されたデータに裏付けられたものですが、なぜか、日本人は加えて感情的な保障としての「安心」を求める。マスクについても、米国CDC(疾病予防管理センター)やWHOがあれだけ予防効果がないと発信しても、「安心」だからと多くの人が買い占めに走っています。
今回のクルーズ船でも、政治主導のもと「安心」を求める傾向が顕著で、ネガティブな指摘は絶対にしてほしくないという空気が現場に漂っていました。現に私が、船内で厚労省の幹部に具体的な対策を進言しても、「何でお前がそんなこと言うんだ」と冷たい態度を取られました。
菅官房長官が2月18日の会見で「全て終わった後に検証して(略)次につなげていきたい」と語りましたが、終息して半年もすれば、「やるだけのことをやって、もう終わったんだからいいじゃないか」となるのが日本の国民性です。
——政治主導と言えば、安倍首相が全国の小中高に3月2日から春休みまで臨時休校を要請し、今は一斉休校の真っただ中です。
感染者を「一日でどれだけ減らすか」といった目標設定もなく、専門家の意見も聞かずに場当たり的に発表されたので、今後この判断が妥当だったか検証する必要があります。個人的には子供ではなく、重症化しやすい高齢者の外出を自粛すべきではないかと思っています。
日本の対応は中国より遅れている——PCR検査が保険適用になりました。
無症状であっても全例PCR検査すべきという議論が巻き起こっています。
しかし、現状では一般の検査機関での準備が整っておらず、優先すべきは重症者への検査です。検査の精度も万能ではなく、結果に対する誤った解釈で感染者数を増やしてしまうリスクも考えると、全例への適応は検査の無駄遣いです。
ただ、必要な検査ができないのも問題なので、検査キャパの拡大自体には反対していません。
——岩田先生は情報提供のあり方について、日本の遅れを指摘されていますね。
米国のCDCは新たな感染症が発生すれば、安全策を講じるうえで必要な情報提供をします。中国でも、SARSの際に実態把握に苦労した教訓を生かし、中国版CDCが今回の新型コロナウイルスでは、いち早くウイルスの遺伝子型を特定し、感染状況を世界に発信しています。
それに比べて、日本は09年に発生した新型インフルエンザの封じ込めに苦心したにもかかわらず、これを教訓とせず、日本版CDCを作らなかった。感染症の専門家の養成もしてこなかった。こうした“専門家軽視”の姿勢が今回のクルーズ船の惨事に繋がったと考えます。
——今後、私たちは新型コロナウイルスとどう向き合えばよいのでしょうか。
国立感染症研究所は、クルーズ船内の感染流行の度合いを示す「エピカーブ」を2月19日に発表しています。一見すると多くの患者が隔離前から感染しており、二次感染者はごくわずか。隔離政策が成功したかのように理解できる結果になっています。しかし、データは不完全なもので、発症者不明のデータも現時点で多くあります。このデータの不備も動画で指摘しましたが、「データはあるのにないと勘違いしている」と的はずれな批判もされました。「データがある」と「データが完全にある」は同義ではないのですが。
ご存知のように下船後の発症者は国内だけではなく、オーストラリア、米国、香港などで発見されており、まだ予断を許さない状況です。
今はいかに封じ込めるかが大事で、手指消毒や閉鎖空間でのイベントを避けるなど、個人で、できることをすること。中国で封じ込めできつつあるのだから、我々にも希望はまだあるとは思います。
取材・構成:内田朋子
岩田健太郎(いわたけんたろう)
1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学)卒業。沖縄県立中部病院、ニューヨーク市セントルークス・ルーズベルト病院、同市ベスイスラエル・メディカルセンター、北京インターナショナルSOSクリニック、亀田総合病院を経て、2008年より神戸大学。神戸大学都市安全研究センター医療リスクマネジメント分野および医学研究科微生物感染症学講座感染治療学分野教授。神戸大学病院感染症内科診療科長。
ゼロ いや実際ダイプリの対応はガバガバだっただろ。日に日に感染増えていって、陰性だって言って外に出した奴がやっぱり感染してる始末、それも何人も。記事に書かれてるダイプリでの対応のまずさについて岩田が指摘してる内容に具体的に反論できる奴いる?いないだろ。 |
名無しさん 検査陰性で大丈夫だあ〜しちゃったのは批判されるべきでしょ。検査すれば良いと思ってるアホと同じ。数回検査したってなかなか陽性出ないのに。自宅待機ならぬ船内待機をずっとさせるべきだった。こっちからすれば船から出るなって話 |
梅の字 DPの対応で日本が正しかったことはイタリアと比較すれば一目瞭然。ああいう閉所で感染症が猖獗したら抑えようがない。それを知った上で、岩田という男は知識を裏返しに利用し、後出し批判ばかりしている。自分に注目を集め、プロパガンダに利用するためだ。こういう愚物を持ち上げること自体、大間違い。 |
新型コロナウイルスが世界を震撼させている。現在、非常事態となっているのはイタリア、スペイン、アメリカなど欧米各国だが、つい1カ月前まで、主戦場は中国だった。中国で最初に発生したのは昨年末といわれているが、中国政府が情報を隠ぺいし、初動を誤ったことが原因で世界に感染を広げた“張本人”だとして、中国は世界から非難を浴びている。
その影響もあり、欧米では中国人を含めた「アジア人」差別が広がっている。欧米人から見れば、中国人と日本人、韓国人の区別はまったくつかない。
その同じアジア人同士である日本人の間にも、中国人への差別や偏見はじわじわと広がっているように感じる。日本では欧米のような露骨な差別や事件はあまり起きていないが、知り合いの在日中国人は「こういう事態になったら中国にも帰れないし、日本にいても肩身が狭い。友だちと中国語を話しながら歩いていると、私がマスクをしているのに日本人が避けて通る」と小声で話していた。
新型コロナ問題により、実際に日本でどれくらい嫌中感情が高まっているのか、正直なところよくわからない。1月下旬に武漢が封鎖された際、日本から中国にマスクなどの支援物資が送られ、中国政府や中国人から感謝されるなど心温まる交流もあったが、ネット記事のコメント欄やSNSどには、相変わらず誹謗や中傷があふれている。中国の記事を書くことが多い筆者自身も、最近は頻繁に心ない言葉が投げかけられる。
むろん、最初に感染者が発見され、感染が拡大したのが中国であることは確かだ(感染源について諸説あるが、現時点で真偽は分からない)。また、目に見えないウイルスへの恐怖から、根拠のないデマなども起こっているが、日本人に限らず、「中国人だから」、「○○ウイルス」といった国家や民族によるレッテル貼りをすることは、ヘイトスピーチにつながる危険性があると感じている。
そんななか、筆者は『日中戦後外交秘史 1954年の奇跡』(加藤徹、林振江著、新潮新書)という一冊の本と出合った。帯には「日中がまだ『戦争状態』だったころ 一人の中国人女性が羽田空港に降り立った。」とある。即座に思い浮かぶ女性はいなかったが、ページをめくってみると、そこには「李徳全(りとくぜん)」という名前があった。
筆者は数年前にたまたまこの女性の存在を知る機会があったが、日本での知名度はほぼ皆無といっていいだろう。日本の中国関係者の間でも、知名度は高いとはいえない。読んでみると、中国でも実はあまり知られていないと書かれていた。
だが、この女性は日中戦争(1937年~1945年)からわずか9年後の1954年、まだ日中に国交がない時代、幾多の困難を乗り越えて、共産圏の国家から初めて来日し、中国に残された数万人の日本人の引き揚げに尽力した、いわば「中国のシンドラー」といえる人だという。
この女性や日中双方の外交関係者の粘り強い努力がなければ、中国に取り残された日本人は、戦後、母国に帰国することはできなかった。帰国できた日本人の多くは李徳全に心から感謝したという。本書は李徳全を始め、日本人引き揚げに関わる人々を、日本側からだけでなく、中国側の観点からも描いた貴重なノンフィクションだ。
読み進めていくうちに、日中に関する歴史を自分があまりにも知らなかったと痛感した。無知は罪ではないが、誤解や偏見につながり、知らず知らずのうちに差別にもつながっていくかもしれないと思った。そして「国境」「民族」「平和」などについて考えさせられることが多い昨今、ぜひ、多くの日本人に読んでほしいと思う。
李徳全は清朝末期、牧師の家に生まれた。昔の中国では珍しく西洋式の教育を受け、英語も得意だったという。敬虔なクリスチャンで、中国の大物軍人政治家である馮玉祥(ふうぎょくしょう)と結婚した。馮玉祥についても、日本では耳なじみがない人が多いと思われるが、一時は国民党の蒋介石と中国のトップの地位を争ったほどの人物であり、中国では有名だ。
新中国建国(1949年)後、李徳全は女性として初めて中国の閣僚(衛生部長=日本の厚生労働大臣に相当)に就任。中国の赤十字社である「中国紅十字会」の会長も兼任した。その頃、日本の首相は吉田茂だった。
当時、日本が国交を結んでいたのは台湾の中華民国であり、中国ではなかった。戦争直後であり、「嫌中」が当たり前の時代、中国に残る日本人の帰還を望む日本では、人道主義に立つ赤十字というチャンネルを使い、日本赤十字社の社長が中心となって中国側に働きかけた。そこで登場したのが李徳全だ。背後には、毛沢東や周恩来、そして、知日派として知られる廖承志(りょうしょうし)という人物がいた。
ただの感動物語というだけではない。日中双方には外交的にさまざまな思惑があった。日本にとってはもちろん人道的な問題が第一だが、中国側には日本を突破口として、国際社会(特に西側諸国)から一人前の国家として承認してもらいたいという目的があった。温厚な女性であり、クリスチャンの李は、そんな中国側の狙いを背負うのにうってうけの人物だった。
日中双方が北京で会談を行った結果、帰国者を乗せた帰国船が次々と帰還。約2万6000人以上が、生きて再び日本の土を踏むことができた。しかし、数々のトラブルにも見舞われ、帰国船は途中で打ち切られてしまう。残った数千人の日本人の帰還をどうするか、という議論とともに、持ち上がったのが李の来日だった。
本書の後半では、李の14日間に渡る日本訪問の舞台裏や詳しい行程がドキュメンタリー・ドラマのように展開されていて、おもしろい。本書で描写される1954年の日本は、まだテレビ放送が始まって1年しかたっておらず、東京タワーも、東海道新幹線もなかった。日中間には国際線の飛行機もなく、李の住む北京から東京にやってくるのには、陸路で香港まで行き、そこから飛行機に乗るため、なんと1週間もかかったそうだ(現在は直行便で約4時間)。わずか50年弱で、日本も中国も、ずいぶん変わったものだと驚かされる。
クライマックスは、来日の際、李が持参してきた「戦犯名簿」を読み上げ、日本人戦犯の釈放を発表するところだ。これは大ニュースであり、親族が生きているかも分からず、心配していた家族を始め、多くの日本人に歓喜の声で迎えられた。そのときのことは、2008年11月30日に放送されたNHKのドキュメンタリー番組「“認罪”~中国 撫順戦犯管理所の6年~」の中でも紹介されているという。
李の来日は、新中国が日本の戦争責任の問題に一区切りをつけるという象徴的な意義があった。
本書を読んで驚いたことは数々あるが、そのひとつは、李が日本の行く先々で大歓迎を受けたことだ。当時、日本と中国は国交がない。その意味では、今の日本と北朝鮮のようなもの、と言い換えてもいいのかもしれない。共産国家・中国からの要人来日を成功させることは、双方にとって想像を絶する苦労があった。
そんな半世紀近く前の知られざる「秘史」を読むと、外交の仕方、民間人のつき合い方として、参考になることが多くある。
年間1000万人近い中国人が来日し、日本全国を自由に旅行し、双方の情報を瞬時にネットでチェックできるようになった現在の日中両国は、当時とは比較できないほど変化し、前進した。しかし、交流は増えたものの、政府間の軋轢がなくなったわけではなく、相互理解が非常に進んだというわけでもない。ネットの時代になり、情報の伝達スピードは速くなった反面、正確に、誤解なく他者に伝えることはむしろ難しくなった。間違った情報を信じ、それに流されてしまうことも多い。
そんな時代に本書を読み、改めて、日中間の先人たちの苦労を思い知った。そして、未知のウイルスに立ち向かうという厳しい状況でも、必ず道は開ける、ということを改めて実感し、前向きな気持ちになれた。
新型コロナ騒動が浮上して以降、メディアに流れる情報の大半がこの問題で占められ、少し前まではそのほとんどが武漢に関する内容だった。医学的な情報に疎い自分も含め、多くの人は新型コロナウイルスのことが「よく分からない」から、不安になる。不安が増大すると、どこか特定の国や民族に怒りやストレスをぶつけようとしてしまうかもしれないが、そこから生産的なものは何も生まれない。
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トレバー・フィリップス工業 中国人がくだらないメンツを守るために情報を隠蔽して、ウイルスを世界中に拡散させた。どんな擁護をしようとも事実は変わらない。世界中から中国に向けられる憎しみは凄まじい。下手に擁護したら同じように憎まれるよ。 |